ペルシャの幻術師

サスペンス

こんにちは。ポメラニ・アンパンです。今年に入って早くも9月。みなさん、いかがお過ごしでしょうか。僕は仕事柄テレワークにはならないため、相変わらず電車に揺られて通勤しています。電車通勤の良いところは、本を読んだり眠ったりできるところですね。車通勤だとプライベートは保たれ、音楽を聴いたりはできますが、本が読めないのが難点です。

そんなこんなで、隙間時間に少しずつ本を読んでいますが、我ながらの遅読っぷりに辟易としながらも、元気に日々を生きております。

さて、今日ご紹介する作品は司馬遼太郎さんの作家としてはデビュー作を含めた初期の短編作品からなる『ペルシャの幻術師』です。

この本を読んだきっかけ

確か、去年の11月頃に友人達と大阪旅行に行きました。その時、「大阪に行くなら司馬遼太郎記念館に寄らないと!」と思い、私単身行ったのです。見上げるほどの高さまでに聳え立つ司馬遼太郎さんの蔵書には「ほえ〜〜〜」という言葉以外出せないほど、圧倒されましたね。

その記念館でいくつか司馬遼太郎さんの作品を購入し、そのうちの一冊が今回紹介する『ペルシャの幻術師』です。ようやく読むことができました。

司馬遼太郎さんの作品の感想はこちら↓

あらすじ(概要)

本作は司馬遼太郎さんの作品8篇を収録した短編集。なかでも表題作は司馬遼太郎さんのデビュー作。ペルシャやモンゴルに関する知識と幻想的な要素をミックスさせた物語が読み手を物語に引き込む。


(文庫本背表紙より抜粋)

十三世紀、ユーラシア大陸を席巻したモンゴル軍が占領したペルシャ高原のとある街。モンゴルの将軍とその命を狙うペルシャ人との暗闘を描いた「ペルシャの幻術師」(昭和三十一年、第八回講談倶楽部賞受賞)は司馬氏の幻のデビュー作で、文庫本初登場である。同じく、文庫本初収録の「兜率天の巡礼」等、全八遍の短編を収録。解説・磯貝勝太郎


01)ペルシャの幻術師

ペルシャの街を圧倒的な戦力で支配した蒙古軍の若き王ボルトル。ボルトルはペルシャ人の街メナムの住人を四千人惨殺した際、一人の美しい女を見て虐殺をやめた。その女はナン。ボルトルが欲するは、ナンの心。ナンにとってボルトルはキャラバンのメンバーだった父親を殺したも同然の憎い男。当然妃になるつもりはないが、あからさまに拒んでは命を絶たれるのは明白、よって様子を見つつ王の言に従っていたが、これが半ば飼い殺しの状況を招いていた。

そんな折、ナンは街に出た際、王の命を狙う青いターバンの男、幻術師アッサムに出会う。その男はボルトルの宮殿に侵入し王に宣戦布告を行う。アッサムとボルトルの間で揺れるナン。果たして、決着はいかに。メナムを舞台に、蒙古の王と幻術師が雌雄を決する。

02)戈壁ゴビの匈奴

時代は一二二七年。年老いたチンギス・ハーンが馬を駆ける。目指すは西夏。かつて若き頃よりこの国を攻めては攻略を断念せざるを得なかった地。西夏・・・それは蒙古人の男たちにとって、世界で最も美しく、手にするに相応しい価値のある『女』が住まう国。

テムジン(後のチンギス・ハーン)は若き時、世界を旅する商人から西夏の女の肌艶、肢体などを語られ、そのイメージを脳内に焼き付けられる。この時代の蒙古人たちの執着心の対象はモノとオンナ。本性、『戈壁の匈奴』は、チンギスら蒙古の男たちがどのようにして西夏を攻略していくかを追う。

03)兜率天とそつてんの巡礼

法学博士である閼伽道竜あかどうりゅうが、妻の波那はなが発狂した原因を追い求める。研究者として順風な道に乗れたのも、波那との縁があった事に無関係ではない。波那は控えめな女性だが、両人とも良い関係を保ったまま二十年が過ぎた。しかし、昭和二十年に入り妻の糖尿病が悪化。床に伏せる日々が続き、重篤化してわずか十日で亡くなった。だが、その最後の十日間における波那は、波那ではなかった。道竜が声をかけた時、裂けそうになるほど口を開き両手を蛙のようにばたつかせて、声は出ずとも恐怖に怯えながら波那は「怖いィ。お前の、お前の顔・・・・・・。ああッ」

この一件は、閼伽道竜のその後の人生を変える。彼は、従順だった妻が変貌した事実に大きな悲しみを感じながらもその謎を解き明かしたい一心で、妻の実家の神戸、そして赤穂の大避神社に行き着く。

ここから、波那のルーツにまつわる話がユダヤ教徒、ダビデ神社、そしてコンスタンチノープルへと時間と場所を超越する。短篇集に収録されている作品とは思えないほどの壮大なスケールで描かれる歴史ミステリー。

04)下請忍者

忍者においても仕事の受け方によって、現在の我々と同じように「下請け」が存在する。下請けがあれば当然下請けに仕事を振る「元請け」に相当する忍者もいる。「上忍」と「下忍」、この関係性がそのまま「元請け」、「下請け」と置き換えても良い。当時、上忍といえばその土地の有力者、地主的な立場を持っていて、大名より偵察・情報収集の依頼があると飼っている下忍を派遣したという。

本編の主人公、与次郎は下忍である。上忍である百地家の娘に婚姻を迫られるも、百地家に婿入りなどしようものなら、今以上にこき使われ立場も悪くなると考えた与次郎はこれを断る。しかし、これが与次郎をさらに追い詰める結果となってしまった。下忍とは類まれぬ能力を持つ忍者といえども所詮使い捨ての人材。下忍の生きづらさ、生きるために戦いから逃れられない人生を描いたエピソード。

05)外法仏

太政大臣藤原良房が、今上の第二皇子を皇太子の立場に置くべく、僧都恵亮そうずえりょうに法力による祈祷をせよ、と命じた。第一皇子と第二皇子、どちらが皇太子になるかは、馬の十番勝負で決まる。この依頼を受けた日、恵亮は青女あおめと名乗る美しい女と出会った。位の高い僧と魔性の女、二人は逢瀬を繰り返し、そして・・・。

次期皇太子を決めるべく祈祷を行う僧都恵亮。かたや、魔性の女に惹かれる恵亮。人間の二面性と女のもののけ的な魅力を官能的に描いた異色作。

06)牛黄加持

若き見習い僧の義朗は、僧都賢覚そうずけんかくに付いて真言秘密の法義を学んでいる身である。仏法では、女性との性交は最大の破戒を意味する。よって、煩悩は自らの手で行うよう、高位の僧より教えられるのが常だった。僧たちは各々の理想の妻を想い、煩悩を解き放つ。高位の層曰く、これを持戒の法だと。義朗にもただひたすらに想いを募らせる妻がいた。その者は匣ノ上くしげのうえという右大臣藤原長実の姫であり、義朗にとっては幼馴染の女人であった。

真言密教の加持祈祷は、本尊を絵に描いて呪を唱えるのが慣わしだった。加持祈祷の目的に応じて、本尊を選び、画に起こす必要があったのだ。ところで義朗は画の才があり、賢覚に気に入られていた。日々、僧都賢覚に学び真言の法義を学ぶ義朗は、ある時、匣ノ上が上皇の女御となった事を知る。想念の中の妻である匣ノ上が他の男のものになったと知り、ひどく落胆する義朗。しかし、そんな折僧都賢覚より用命を受ける。匣ノ上からの依頼で、牛黄加持を行う。そのために、牛黄を取ってこいと。

牛黄とは生きている牛の肝臓や胆嚢、心臓に発現する肉腫または癌などの病塊を指す。当時、生きている牛から採取した牛黄は最高級の医薬品として扱われていたという。義朗は匣ノ上からの依頼だと知ると、気を入れて牛黄を探しに出かける。

果たして果たして牛黄加持とはいかなる呪法か。性と恋、呪法と政争が交錯する中、義朗の想いは届くか。あるいは・・・。

07)飛び加藤

永禄三年、夏。京にて越後上杉謙信の家臣である永江四郎左衛門は不思議な男と出会う。男は市中で牛を飲むという奇妙な見世物で、見物人に囲まれていた。偶然四郎左衛門もその妙技を目にする。四郎左衛門は主人の謙信の命で、内裏に金品の献上のため京に来ていたが、腕が立つ者を故郷に連れ帰ることもまた任務であった。四郎左衛門は妙な技を使う男に声をかけ、招待する。男は、「飛び加藤」と名乗った。初めのうちは四郎左衛門も飛び加藤の妙技に関心を示していたが、飛び加藤が好んで手込めにする女人は、当時の基準に照らしても決して美女ではない女ばかりに手を出していた。そしてある日、四郎左衛門は飛び加藤が酒の瓶から娘を出すのを見せらた。驚きつつも、飛び加藤の腕に感服し、上杉謙信にもとりなす。謙信は飛び加藤の能力を見極めんと、ある試しを言いつける。

類稀な能力を持つ忍者と武士の関係性が垣間見える。忍者を「使う」立場である武士にとっても、飛び加藤のように、並外れた能力を持つ者は警戒してしまうものなのだ。

08)果心居士かしんこじの幻術

戦国時代、飛び加藤の他にもう一人、その名が広まった人物がいた。果心居士である。天正五年七月、果心居士は大和葛城山の麓で姿を現す。豊穣を願う農民達の田楽に紛れ、田の神に扮して踊っていたと思ったら、いつの間にか八人の武士の首を胴から切り離していた。

果心居士の仕業と見破ったのは、被害者の兄の筒井順慶。ただ事ではないと悟った順慶は急ぎ信長に謁見しことを伝える。「松永弾正に謀反の志がある」と。順慶曰く、かつて自身ゆかりの地である奈良興福寺にて、僧だった果心居士を知っていると。果心居士は波羅門の教えを学び、呪法を使いこなすようになる。当然の事だが、仏教界からは破門を言い渡されている。

その後、松永弾正の下で働いているという。その後紆余曲折あり松永弾正の死後も果心居士は生き続ける。呪を唱えて相手に触れずに殺す能力、その類まれな力ゆえ、彼の居場所は少ない。一時、上忍の百地のいる伊賀にいたが、信長の鏖殺令が出た際、信長側の軍を動かす順慶と出会う。

貸し借り、武士と忍び、使う者使われる者・・・歴史の影を生きた者の息遣いを感じさせる。

この作品の要素・成分 (最低値=1 最高値:10)

雰囲気

幻術、モンゴル帝国、ペルシャ、流鏑馬、性欲、武士、忍び、キリスト教、ダビデ、摩括、加持祈祷、外法、虐殺、決闘、上杉謙信、織田信長・・・

タイトルが示す通り、この短編集は「幻術」、「忍術」といった部分を前面に押し出している。収録作品も『燃えよ剣』のような王道歴史物語ではなく、どちらかというと幻想的なファンタジー色が強い。また、忍者も「幻術」を使うではないにせよ、類まれな特殊な力を持つ者達。しかし、そこは司馬遼太郎、一般的なヒロイックでカッコいい忍者像ではなく、忍者という立場であるからこその生きづらさを描いているところが読み応えがあるのだ。

読みやすさ:9 ⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️

文章が明快なのでスイスイと読める。聞いた事もない語彙がたくさん出てくるが、しっかりと説明を交えて書いてくださっているので、楽しめる。舞台である国や時代背景が作品によって変わるのも面白い。飽きずに読める。

ワクワク度:8 ⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️

ワクワクできるポイントはかなり多い。1作品目の『ペルシャの幻術師』では、圧倒的な武力を持つモンゴル軍の王とたった一人で戦いを挑む幻術師に燃える。歴史好きなら忍者と武士の関係などで楽しめるだろうし、真言密教の秘技について描かれている『牛黄加持』なども人によっては刺さるのではないだろうか。

ハラハラ度:7 ⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎

どの話もハラハラする部分はかなりある。

食欲増幅度:1 ⭐️

そういえば食べ物にまつわる話は無かったなぁ・・・。

胸キュン:2 ⭐︎⭐︎

良い女が登場する作品はあるのだが、いわゆるロマンスはあまり無い。どちらかというと妖しく美しい女が物語に華を添える。

ページをめくる加速度:8 ⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️

「そんなことがあるのか!」と思うことが山のように出てくるので、ドンドン読める。

希望度:5 ⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️

さまざまな人生、歴史を見ることで今日明日を生きる糧を得られるかもしれない。

絶望度:3 ⭐️⭐️⭐️

絶望というよりも「人の哀しみ」の方がしっくりくるかな。どうしたって戦いから逃れられない忍者の悲哀、圧倒的な権力を持ってしても女の愛を得られない王の孤独、愛した妻から受けた呪いを断ち切ることの出来ない男の苦しみ・・・人は生きるうえで哀しみから背を向けることができない。だからこそ人は学び、詩を読み、言葉を紡ぐのかもしれない。

残酷度:7 ⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎ 

モンゴル軍が占拠した街での虐殺、幻術で命を絶つ、忍者同士の戦いなど、血生臭いシーンは多い。

恐怖度:5 ⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎

3作目の『兜率天の巡礼』で主人公の嫁さんが死ぬ間際に放った呪いの一言が恐ろしいよ。特に喧嘩もしておらず、互いに愛し合っていたと思っていた妻から、今際の際にあんな事言われたら立ち直れないよ・・・。

ためになる:5 ⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️

余計なことを考えず、エンタテインメントだと割り切って読んだ方が楽しめる。

泣ける:1 ⭐️

泣ける話ではない。

読後感:7 ⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐︎

新たな価値観や知見を得られたし、純粋に幻想的な小説としても面白かった。

誰かに語りたい:4 ⭐️⭐️⭐️⭐️

サッと読める司馬遼太郎作品と問われればおすすめできる。

なぞ度:2 ⭐️⭐️

飛び加藤、果心居士など、歴史の謎に生きる人物を描いた作品はとても胸躍った。残したままにしておいた方が良い謎もあるよな〜。

静謐度:2 ⭐︎⭐︎

淡々と情景を描写する文章は静かでしかし熱を帯びている。僕が物語に引き込まれるのは、表面上は静かでも中では燃えている焚き火に入れた炭のような物語。

笑える度:3 ⭐️⭐️⭐️

6作目の『牛黄加持』で、僧の自慰シーンは不覚にも笑ってしまった。

切ない:3 ⭐︎⭐︎⭐︎

これも6作目『牛黄加持』から。主人公が想いを募らせる匣ノ上。まさかあんな事になるとは・・・。

エロス:7 ⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎

性描写がかなり多い。

データ

タイトルペルシャの幻術師
著者司馬遼太郎
発行元文春文庫
コードISBN978-4-16-710592-1

まとめ

ペルシャの幻術師、読みました〜〜!!!面白かったぁぁ!!司馬遼太郎さんのデビュー作という事で初々しい感じなのかな?と思ってページをめくったら、初々しさなど微塵も感じさせない老練な雰囲気すら醸し出すいつもの司馬遼太郎ワールドが広がっていました!

広大なモンゴルの砂漠を行く隊商やモンゴル帝国の男達の威容、幻のペルシャの街並み・・・。巧みな文章からありありと情景が想像できてしまうのが司馬遼太郎マジック。

本作は短編集が8作収録されていますがどれも一癖二癖ある一級品のエンタテインメント。理屈や理論だけでは語れない人の感情や行動を、幻術・呪法・忍術をテーマとした作品群が織りなす人間ドラマ。そこには、僕たちが普段漠然と思い浮かべるヒーロー像的な術者達の姿ではなく、特殊な技芸を身につけた者にしか分からない葛藤、悩み、孤独、覚悟などがありました。

御涙頂戴が持てはやされている今日この頃。僕は、泣かなくていいし、泣きたいとも思わない。それよりも、本作のような血の匂いが漂ってきそうな、命の息吹を感じられる作品の方がずっと心にくるものがある。また、司馬遼太郎さんを好きになってしまった。

気に入ったフレーズ・名言(抜粋)

なんという美しさだ。まるで、弦月の輝きを、そのまま人型にとったような女じゃないか・・・・・・。

ペルシャの幻術師 p.10

蒙古高原の南、戈壁のさらに南、黄河が大湾曲をとげるオルドス草原の河流を西へ離れると、地は漠々として天に連なり、曠沙の上には、一滴の水を求める泉さえない。

ペルシャの幻術師 p.52

地球の如何なる場所であっても、そこに物があり、女さえあれば、この男たちの集団は走った。この集団の頭目になる資格は、これまたたった一つしかない。制欲と交戦欲と掠奪欲の人一倍激しい男、こういう男にのみ安心感が置ける。この男の欲する方向が、民族の欲する方向であるからだ。

ペルシャの幻術師 p.62

むかし孫悟空という唐の猿が、ついには釈迦の掌のうえでしか走りまわれなんだように、わしも伊賀者の宿命のなかから、しょせん、あがきでられぬものかも知れん。

与次郎
ペルシャの幻術師 p.194

わからなくてもいいのです。いますぐ、どうということでもないし、あなた様にご迷惑をおかけするような事でもございませぬ。ただ、よいとおっしゃっていただければいいことなのです。

青女
ペルシャの幻術師 p.219

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