こんにちは。ポメラニ・アンパンです。早くも12月!今年も残りわずかとなりました。朝夕は冷え込む時期になり、そろそろ暖房に向けてエアコンフィルターを掃除しようかと思っている今日この頃です。
さて、実は、先月大阪に旅行に行ってきました。そこで、司馬遼太郎記念館に訪れまして、行ったことがある人は分かると思いますが、司馬遼太郎先生蔵書が、10メートルくらいの壁状に陳列されています。圧巻でしたね!
そんな大阪行きのちょっと前から読んでいた本の感想が今日のご紹介本です。司馬遼太郎さんの『十六の話』というエッセイになります。
この本を読んだきっかけ
『燃えよ剣』で司馬遼太郎さん作品に興味を持ち、また友人との旅行にて大阪に行く際、司馬遼太郎記念館にも立ち寄ろうと決め、何か司馬遼太郎作品を読もうと思いました。しかし、遅読ゆえ長編シリーズではない単巻作品を選ぼうと、書店で物色していた際本作が目につきました。
司馬遼太郎さんの豊富な知見に基づいたエッセイという事で、これを旅の友として大阪に行ったのです。
「燃えよ剣」の感想はこちら↓
あらすじ(概要)
01)文学から見た日本歴史
日本の歴史を多角的な視野から述べられてる。日本という国の地理的な要因による狩猟時代の長さ、そこに中国・韓国から入ってくる様々な要素。例えば稲作、あるいは製鉄技術など。
その他、文字として手元に残ったのは漢文と言われるいわゆる漢字、それを日本流にアレンジし少しずつ日本語独特のリズム感を持つ今に伝わる日本語の礎ができる。そしてサムライの話、近代に至るところまで、司馬遼太郎さんの考察を交えながら語られている。この章だけでざっくりと日本の歴史の復習になると思う。
02)開高健への弔辞
司馬遼太郎さんが「大兄」と呼ぶ開高健さんについて。司馬遼太郎さんをして「大地に深く爪を突き刺して掘り崩してゆく巨大な土木機械を思わせる文体」と言わしめる開高健さんについてと、日本の文学と西洋文学の違い。西洋には一神教的な「絶対」な存在があるのに対し、一神教を有しない東洋には西洋のような「絶対」存在を有しない違い等。
03)アラベスク 井筒俊彦氏を悼む
司馬遼太郎さんが付き合いのあった井筒俊彦さんとのエピソード。30か国の言葉を使いこなせる井筒俊彦さんと司馬遼太郎さんの対談も一部引用があり、読者としても二人の会話を横で聞いているような感覚となって面白い。これは、本作の附録として収録されている対談でより詳しく読める。人はなぜ言葉を使うのか、という言語学者にして哲学者の井筒俊彦さんの考え、民族とは何かといったところまで話が及んでいて興味深い。アラビア語だけは難しすぎて逆にやりごたえがあり燃える、といった意見には脱帽!
04)”古代史”と身辺雑話
司馬遼太郎さんの幼き頃の話から始まる。路上に落ちている石の中から鏃を拾っては集めていたという。当時生活をされていて奈良県お竹内という場所には、縄文時代から弥生時代あたりにかけての石器や遺跡などがあった場所で、鏃や石の斧などもあったようだ。「好き・数奇」という言葉を挙げて、それに傾倒しすぎるとろくな人間にならない、身上を滅ぼす毒だと昔の人は言ってたという話も。司馬遼太郎さん自身も、石集めに熱中しすぎてお父様から収集した物や考古学の本を取り上げられたそうだ。
そこから考古学と人間の想像力の話、戦争体験をした司馬遼太郎さんの軍部に対する客観的な意見(組織の階級の上にいく者ほど愚かになる)などを交えつつ、戦争で焼けてしまった実家に帰った時、お父様から「お前の石器は惜しかったな」と言われて嬉しかったと締め括られている。
05)華厳をめぐる話
今のウイグル自治区あたりの砂漠と隣あうオアシスの国、于窴があった。今のホータンだ。ここには、華厳思想があり、全てのものは孤立しておらず因縁が構成され、縁起となり、因果を産んでいるという思想。司馬遼太郎さんがここを訪れた際、死の世界である砂漠と隣り合わせの立地ながら、大乗仏教的な華厳思想が栄えたのだろうと感じたとある。以降、仏教の話題に移り、仏像を建立し始めたガンダーラの人々が信仰した華厳思想のゆるさ、おおらかさを司馬遼太郎さんは素晴らしいと感じたとのこと。いわゆる修行や苦行に明け暮れるニヒリズムが華厳思想では全くないので、徐々に東に伝来し、日本にも伝わったのだろうと。
06)叡山美術の展開 不動明王に触れつつ
釈迦がもし生きててそのときの仏教を見てどう思うか?という目線で司馬遼太郎さんが意見を書いているこの章、僕は一番楽しく読めた。実は釈迦存命の期間は何も文字として、経典というものが無かったらしい。釈迦の教えを受け継いだ者たちが経典としてまとめあげ、それがガンダーラなどで仏像を作る技術を得て、次第に大乗仏教、小乗仏教など少しずつ変化してゆく。要所要所に、”釈迦が見ようものなら「○○じゃないか。」と言うに違いない”とあるのが面白い。そして話は日本の至る所で拝謁できる不動明王の話に。不動明王の姿は、誰しも想像できる憤怒の表情はイメージできるはず。あの不動様の姿もルーツがあるようで、本章ではこう紹介している。
「この覚者が、圧倒的な驚きをもつのは、お不動さんの像の前に立ったときだろう。 -これは、ドラヴィダ人の少年奴隷ではないか。-」
ちょっとこの面白さは、前後の流れを読んで感じたので、説明しづらいのだが、ここは声に出して笑ってしまった。
07)山片蟠桃のこと
僕は山片蟠桃なる人物を知らなかった。ここで、司馬遼太郎さんが江戸時代、大阪の金貸し店である升屋の番頭・山片蟠桃を挙げている。金貸し店の番頭は、コメの出来不出来を天候などから予測し、金を貸す金額を決めたりするので、有能でなければ務まらない。そこへ山片蟠桃、学問をしながら13歳で大阪の升屋に奉公。当時の升屋主人が倒れ、その嫡子はまだ幼子。相続問題などに直面する中、升屋は窮地に陥る。そこを、山片蟠桃は11年かけて升屋を立て直す。司馬遼太郎さんは、本来思想家になるはずの山片蟠桃が、世の中の事情とはいえ実務家として大成し、しかもその後独立せずずっと升屋の番頭を貫き主人に忠義を尽くしたことだと称賛している。
08)幕末における近代思想
幕末の折に「自由」、「権利」という西洋の言葉の翻訳として、日本語化たらしめたのは福沢諭吉。それらの言葉を使って西洋の先進文明を紹介した冊子「西洋事情」に影響を受けた人々。坂本龍馬もその一人。尊王攘夷か開国かと沸騰する日本に一石を投じ、龍馬の気質と龍馬に続く思想の系統を形作る礎になったのが、「西洋事情」ではないか、と司馬遼太郎さんは言う。資料は残ってないらしいが、思想は書物によってのみ伝達されるのではない、とも言っている。「西洋事情」は思想に関して紹介している冊子ではなく、チラッと西洋における文明社会を紹介したもの。それでも、後の日本を動かすような人々の思想に影響を与えたというのは興味深い。
09)ある情熱
文倉平次郎という人について。魚問屋の子として生まれ、呉服屋の養子に。その後、渡米サンフランシスコへ。そこで、彼の人生の方向を変えるモノと遭遇する。ローレル・ヒルの草むらにて幕府軍艦「咸臨丸」の乗組員の墓を二つ、発見する。墓には「峯吉」とあった。文倉平次郎はその後、咸臨丸について調べていくうちに、アメリカ滞在中に死亡した乗組員は3人いたとわかった。彼はそれを調べるため、ローレル・ヒル管理事務所に就職し、調べ上げていったという。当時は日本人排斥運動が盛んになっており、白人にものを尋ねるような時流ではなかったのだ。その後も苦労を重ねながら文倉平次郎は咸臨丸について地道に調べ、ついに『幕府軍艦咸臨丸』を書き上げたのだ。司馬遼太郎さんは専門家でもない人が、それまでの苦労を匂わすことなく科学的な冷静さをもってまとめ上げたこの本と、その裏にある文倉平次郎の情熱に敬意を表している。この本以外に、幕府軍艦を的確に知るすべがないとまで司馬遼太郎さんは言いきっている。
10)咸臨丸誕生の地
先の章で登場した軍艦、咸臨丸の製造元へ司馬遼太郎さんが赴いた話。ライン川の河口、オランダの赤ちゃん堤と呼ばれる場所にその造船所はあった。現在はSmitという社名で、司馬遼太郎さんが訪れたとき、まだ操業していたとのこと。※現在も操業している(Ferus Smit Shipyards)だと思われる。
その近くに、カッテンディーケという村があり、その村出身のリッダー・ホイセン・ファン・カッテンディーケ海軍中佐なる人が、咸臨丸に乗って長崎に来たその人なのだとか。カッテンディーケ中佐は勝海舟の教官だったこともあり、勝海舟と国民国家としての考えを話したのではないだろうか、と司馬遼太郎さんは言う。いずれにしろ、咸臨丸や幕府の軍艦に関しては先の文倉平次郎の著書を読まずして知ることはできないと、ここでも言っている。凄い縁だよな、と思う。
11)大阪の原形 日本におけるもっとも市民的な都市
司馬遼太郎さんが生まれ、以後ずっと住んでいる大阪という街。その歴史や役割、日本における地形的な優位点、なぜ信長や秀吉が大阪を手中に収めようとしたかなどを、司馬遼太郎さんが調べたことや考察を語ってくれている。古代の頃の大阪、13〜16世紀の頃の話、秀吉が建造した大阪城についてと話が広がる。僕が特に印象深かったのは、大阪城と秀吉について。秀吉が築城した大阪城は今現存しているものより、圧倒的に規模が大きかったとか。秀吉の時代の後、何度も焼けては修復されと繰り返されている。また、秀吉についてもちょっと印象が変わる描写もある。司馬遼太郎さんは秀吉は大阪城の設計を手掛けたのではないか、と言っている。当時、大名でも自らマスタープランを引ける人は少なくなく、秀吉もその一人だったとか。施工技術、完成度、後期の短さなどから、秀吉は卓越した建築設計スキルがあったというのだ。教科書では見えてこない歴史の側面を垣間見た気がして、非常に面白かった。
12)訴えるべき相手がいないまま
アメリカの作家、マーク・トゥウェインの話について。マーク・トゥウェインは成功者だったが、彼の事業が失敗した事で、人に対する考え方が180度変わる。「進歩ほど素晴らしいものはない」と言っていた男が人間に対して絶望的な思想に取り込まれる。人に対し絶望したトゥウェインが書く物語には、少年の姿をした悪魔が登場する。ここで面白いのが司馬遼太郎さん。この少年が語る内容と華厳の教えが近いとの事。そこからまた話はどんどん膨らみ、司馬遼太郎さんが体験した戦時の重圧と敗戦時の開放感の話、何かを捨てること、ひとびとと国家、イデオロギー、そして木を切ることとはどういうことか、など現在に生きる僕たちの課題にまで発展する。
13)樹木と人
チェルノブイリの事故によって地球は一つという事を思い知ったという話から始まり、地球の場所場所によっては木が育ちやすい場所、育ちにくい場所がある。
朝鮮半島の山と日本の山は木の成長度合いが全く違うという話を折込み、製鉄の話になる。鉄を作る技術がある国はどんどん鉄を作るんだが、鉄を作るには大量の木を必要とする。ここで、先ほどの気が育ちやすい土壌、育ちにくい土壌の話が出る。どうやら朝鮮半島の山は岩のような山肌らしく、一度木を切るとはげ山のようになり、土は風が吹くと飛ばされてしまうとの事。対して日本の山は、30年で元の山に戻るそうな。この事は日本国内に住んでいると気付けず、自然の恩恵を忘れがちになるので、よく自覚してくださいと司馬良太郎さんは言う。
そして、過去栄華を誇った国や文明が滅亡した理由は、緑を狩った事に起因すると。メソポタミア文明や古代ギリシアの文明は増えた国民を養うため、周りの森を切り土地を得た。しかし、木を切ったために土壌は照りつける日差しによって、フライパンで焼いた土のようになる。最初の年は作物ができても、2~3年後にはやがて作物が作れなくなる・・・。
今現在、地球環境は大変だけど、裏を返せば緑さえ守れば僕たちの未来はなんとかなるよ、と司馬遼太郎さんは言ってくれている。「緑は全ての基礎なのです」
14)なりよりも国語
現在僕たちが使っている国語の話。「おとうさん、おかあさん」という言い方は明治初期の文部省が発明した言葉だとの事。それまでは商人階級、タイコモチ、武士それぞれの呼び方があり混在していた。そこをなんとか共通化した言語として生み出されたのが今日僕たちが使っている言葉なのだとか。「〜です。」という語尾もこれより以前は無かったらしい。また学校で国語を教えるという事自体、議論が紛糾したとか。そもそも普通に喋ってる言葉を学問と言えるのか?とか、何を教えればいんだ?となったようである。
それはともかく、司馬遼太郎さんは言語の基本は外国語ではなく、母親によって植え込まれたその国の国語こそがその人を成長せしめるものだと言っている。
言語教育について海外に目を向ける。西洋やアメリカでは特に議論と討論の教育に力を入れているし、家庭でも同様。「とにかく自分の意見・主張・希望・否定を言語化し、明晰に伝える事、感情を交えず矛盾をはらまず理論的に伝えよ」と教わる。アメリカのような社会では確かに、個人の主張が明確にできないと生きていけないのだろうが、司馬遼太郎さんはこれが行き過ぎて、議論によって相手を屈服させ、全否定してしまうような事態に到る事を危惧しておられる。
日米という事で、上記の話から貿易に関しても、アメリカは日本に大量の言語で要求を突きつける。日本人は、上記のように主張を明確に言語化する事に慣れていない(そもそも教育されていない)ので、竦んでしまうよね、と。ただし、これは日本人が英語が下手だからという問題ではく、日本語が下手(国語力の不足)だから起こる問題なのだと、司馬遼太郎さんは言う。
国語力をつけるのは、読書と交友。そして何か発言する際、「文章語にして語れ」と司馬遼太郎さんは言う。「なぜ、水が欲しいの?」と問いかけたとき、「のど、かわいた」というのは国語力ではない。「運動もしていないのに、どういうわけか、のどがかわくのです。気分は悪くありません」と自分の現状を言語化できるように教育すべし、との事。
これ、実は僕も実感するところがありまして、仕事柄お客様とメールでのやりとりが多く、きちんと現状を書いて問い合わせてくださる方はこちらも事態がすぐに飲み込めます。しかし、昨今のSNSや、LINEの影響でしょうか。「お手軽なコミュニケーション」が隆盛しているからか、文章がチグハグだったり、ひどい人は文章ですらなく単語だけ書いてくる人もそこそこいらっしゃいます。幸い、問い合わせフォームの仕様上、どのような問い合わせかこちらは推測し対応できていますが・・・。内心、「頼むからちゃんと伝わるかどうか考えて問い合わせてきてくれ」と思いながら仕事しています。*愚痴ですいません。
とにかく、司馬遼太郎さんが言うように、長いセンテンスをきちんと言えるようにならないと、大人になってから苦労するし、生涯つまづくよ、とまでおっしゃっている理由は納得できます。
15)洪庵のたいまつ
オランダ医学を学び、適塾を開き、多くの著名人を輩出。世のために尽くした緒方洪庵の話。幼い頃の洪庵は体が弱く、自分でどうにかならないかと考えた。それが人体ひいては医学に興味を持った理由。江戸に生まれ、大阪の蘭方医学者である中天遊に師事。その後再び江戸に戻り坪井信道のもとで4年間学ぶ。そして長崎へ。当時、鎖国していた日本では、長崎が唯一の中国やオランダなど、国外に視野を飛ばせる窓だった。当時、少数ながらも長崎にはオランダ人が住んでおり、オランダ語を習得し、オランダ語の文献を読む事で、最先端の知識を得た緒方洪庵。
その後、大阪にて適塾(大阪大学の前身)を開く。入学試験は無く、全国から勉強したい人が集まった。先生は緒方洪庵しかおらず、診療しながら学問を教えた。最初はオランダ語の習得に2年費やされる。よく勉強できる者が新参を教えるので、忙しいながらもうまくいったようだ。熟成の中には、大村益次郎、福沢諭吉もいたという。その後、幕府から将軍の侍医になってくれと要望が来る。断り続けるも幕府は折れず、ついに江戸へ行く洪庵。しかし、翌年あっけなく亡くなる。江戸の生活が肌に合わなかったようだと司馬遼太郎さんは分析している。洪庵の偉大さは、利益を一切追及せず、ひたすら人のために働き、かつその精神の炎が弟子一人ひとりに受け継がれていった事だと司馬遼太郎さんは言っている。
16)二十一世紀に生きる君たちへ
司馬遼太郎さんから2000年代を生きる僕たちへのメッセージ。簡素だけど司馬遼太郎さんが人生で得た「人間」と「歴史」と「自然」について。そして未来ある僕たちへの教訓と励ましと応援を含んだ言葉。
(附録) 二十一世紀の闇と光 <対談>井筒俊彦・司馬遼太郎
対談形式で語られる。「韃靼人」との出会い、天才学者ムーサー、アラビア語とモンゴル語、アッラーと真如、「民族」問題、メタ・ランゲージと空海、といった話。
これ、一回の対談の中での話題なんですよ!読んでいる僕が目を回しそうなくらい話が飛躍するし、あっちへこっちへと話が飛ぶ様相はまるでジェットコースター。ともかく、圧倒的に知識が多い人同士の対談なので、目から鱗な話や、考え方を知れるので、凄く楽しく読ませてもらえた。
この作品の要素・成分 (最低値=1 最高値:10)
雰囲気
多くの時代劇作品や街道をゆくといった歴史紀行を手掛けた司馬遼太郎さんのエッセイ。ご自身の幼い頃のエピソード、歴史や宗教、古代文明、特定の人物など、16の話がある。どれも分かりやすく、新たな知見を得ることができ、エッセイをそれほど読まない僕でも楽しく読めた。
読みやすさ:9 ⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️
文章が明快なのでスイスイと読める。知らない語彙がたくさん出てくるがそれすらもしっかりと裏話や由来も含めて書いてくださっているので、楽しく読めた。興味があった事項はGoogle検索しながら読んでいき、これもまた楽しめた。時系列や時代がホイホイ飛ぶのもまた一興。飽きずに読める。
ワクワク度:8 ⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️
話によってはワクワクする。僕は、井筒俊彦さんにまつわるタタール人とか、コーランを丸ごと暗記している天才学者の話とか、咸臨丸の話とか、不動明王の由来話は非常にワクワクしながら目から鱗をはみ出しながら読んだ。
ハラハラ度:該当なし
該当なし
食欲増幅度:1 ⭐️
そういえば食べ物にまつわる話は無かったなぁ・・・。
胸キュン:該当なし
恋愛的胸キュンは該当なし
ページをめくる加速度:9 ⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️
「へえ〜!」と思うことが山のように出てくるので、ドンドン読める。
希望度:9 ⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️
司馬遼太郎さんが、長き人生の中で人間というものを見てきた上で、僕らに希望と期待をしてくれている。その僕たちが希望を持たずしてどうする!
実際、本書に書かれている言葉の端々から、それを感じられる。
絶望度:1 ⭐️
司馬遼太郎さん、人間が好きなんだろうなぁ・・・と本作を読みながら感じた。自然破壊や戦争など愚かしい事や過ちはたくさんしてきた人間。そこだけを見るのではなく、これまで築き上げてきた文化や建築、文明、言語、科学といった功績を見てくれているんだと思う。
残酷度:該当なし
該当なし
恐怖度:該当なし
該当なし
ためになる:8 ⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️
「ためになる」というこの項目名も適切なのか甚だ疑問だが、僕にとってはいろんな知見が増えたという意味ではためになった。緒方洪庵の話や山片蟠桃、咸臨丸など。
泣ける:5 ⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️
「二十一世紀に生きる君たちへ」は、いわゆる泣ける、とは少し違うが胸に来るものがある。それは司馬遼太郎さんの僕らに対する期待。優しさと厳しさとが混ざった思い。
読後感:10 ⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️ ⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️
エッセイに対する見方が変わった。司馬遼太郎さんだからなのか、そもそもエッセイとはこんな具合なのか分からないが、フィクションではない重みや僕たちが生きるこの世界の端っこに触れられた感覚が心地よい。
誰かに語りたい:4 ⭐️⭐️⭐️⭐️
歴史、宗教、大阪、文明、言語、教育・・・この辺りのワードの琴線に触れる人にはオススメ。
なぞ度:4 ⭐️⭐️⭐️⭐️
一番の謎は著者の知識量。どうやって習得したんだろう?本を読むスピードが段違いに早いのかな?そのような話は収録されていないので、気になる!
静謐度:該当なし
該当なし
笑える度:6 ⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️
司馬遼太郎さんは意図していないかもしれないが、不動明王の部分や大乗仏教、経典などに関して、釈迦目線になって釈迦ならきっとこう言うだろう、と描写している箇所がいくつかあるのだが、その辺りは面白くて笑った。
切ない:該当なし
該当なし
エロス:該当なし
該当なし
データ
タイトル | 十六の話 |
著者 | 司馬遼太郎 |
発行元 | 中公文庫 |
コード | ISBN4-12-202775-6 |
まとめ
エッセイというものをまともに読んだことがなく、『どんなもんかなぁ」と思いながらページをめくっていくとそんな事は杞憂だと気づきました。
本作は十六の話を一冊の本にまとめたもので、歴史や宗教、地球環境の話や緒方洪庵など特定の人物にまつわる話など、バラバラのテーマです。しかし、この本を通じて僕は司馬遼太郎さんをもっと好きな作家だなと思えることができました。知見の豊富さは言うに及ばず、ものの考え方が凝り固まっておらず、自然体で心地よく思えました。
また、僕が知らなかったことも数多くあり、それも読んでいて楽しかったと思えた部分です。知らない事を知るというのは、良いですね。モノの見方や視点が広がるような気がします。
気に入ったフレーズ・名言(抜粋)
まことに空というものは、いいものであります。キリスト教のような霊魂は存在せず、空の考え方にあっては、死者とよばれる大兄はこの会場にあまねく存在し、目の前の花でもあり、空気でもあり、われわれ自身でもあります。
十六の話 p.54
想像力というのは、人間に固有にある。それを刺激するものとして、学問や芸術、あるいは文化がある。同時に、想像力というのはモノや法則を知らずに野放しにしておくと、滑稽なものにならざるをえない。
十六の話 p.86
ともかくも、海水から塩化ナトリウムの結晶をとりだすようにして、古代インド人はメッセンジャー・ボーイから、その高貴な使者性を抽出し、それにもう一度、具体的なかたちを与えなおして不動明王を湧出させたのである。
十六の話 p.160
言語の基本(つまり文明と文化の基本。あるいは人間であることの基本)は、外国語ではない。母親によって最初に大脳に植えこまれたその国のつまり国語なのである。
十六の話 p.367
人間は、人なみでない部分をもつということは、すばらしいことなのである。そのことが、ものを考えるばねになる。
十六の話 P.375
この自然への素直な態度こそ、二十一世紀への希望であり、君たちへの期待でもある。そういう素直さを君たちが持ち、その気分をひろめてほしいのである。そうなれば、二十一世紀の人間は、よりいっそう自然を尊敬することになるだろう。そして、自然の一部である人間どうしについても、前世紀にもまして尊敬し合うようになるにちがいない。そのようになることが、君たちへの私の期待でもある。
十六の話 p.387
例えば、友達がころぶ。ああ痛かったろうな、と感じる気持ちを、そのつど自分の中でつくりあげていきさえすればよい。この根っこの感情が、自己の中でしっかり根づいていけば、他民族へのいたわりという気持ちもわき出てくる。君たちさえ、そういう自己をつくっていけば、二十一世紀は人類が仲良しで暮らせる時代になるにちがいない。
十六の話 p.390
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