ユートロニカのこちら側

IT・テクノロジー

こんにちは、ポメラニ・アンパンです。暖かくなったと思ってきたら、昨日はみぞれや雪が吹き荒ぶ寒い日でしたね。いやはや、今年の天気のムラっ気、凄くないですか?

連日のコロナウイルスの報道と影響で、株価も大暴落、トイレットペーパーも常に不足。WHOはついに『パンデミック』宣言を出しましたね。まさか、現実世界でパンデミックって単語を聞く事になるとは思いませんでした。

このような状況下では、情報を冷静に受け止め、今自分ができる事をやるに限ると思います。僕、ポメラニ・アンパンも極力外出を控えています。逆に、それだけ本を読む時間が増えたと思考を切り替え、本を読んでますよ。

本はいつだってそばにいてくれるし、読みたい時に読めるのは何物にも替えがたいモノだと痛感します。

さて、今回ご紹介するのは、『人が働く必要がなく、ストレスを極力排除した生活ができる街に住む人々、住まない人々』を描いた小説で、小川哲『ユートロニカのこちら側』です。

読んだきっかけ

タイトルと表紙に惹かれたのと、2019年ハヤカワ文庫100冊フェアの帯を見て、反射的に手を伸ばしました。小川哲の作品はまだ読んだ事がなかったというのもあり、読んでみようと思いました。

あらすじ

アガスティアリゾート。そこは、理想郷なのか。民間企業が運営する実験都市アガスティアリゾートは、住民に平均以上の暮らしを提供する。

住民は労働の義務はなく、最新鋭の設備のもと充実したレクリエーションを楽しみ、強固なセキュリティによる安全な生活の享受、収入も得られる・・・一見誰もが羨む理想郷。

ただし、住民は生活の全てを記録される。視覚情報(視界に入れた物の情報)、位置情報(どこで何をしていたかの情報)などのあらゆる情報が。加えて住人の行動にはポイントが設定されていて、それにより等級が上下する。

例えば、ミサに参加したりゴミ回収のボランテイアに参加すると等級は上がる。逆に、人付き合いが少ない、コミュニティに参加しない、良からぬ事を考えると等級が下がる。

本作は、このアガスティアリゾートを軸に展開される人々の物語。リゾートで理想的な生活を満喫できる人、理想郷に馴染めず辛い日々を送る人など6篇の物語が描かれている。

第一章:ジェシカジョン夫妻の物語。アガスティアリゾートに憧れ、理想の生活を思い描いていたジェシカ。8年越しに勝ち取ったリゾートの住人になれる権利を持って、ついに夫婦で移住する。理想郷での生活に、ジェシカはすぐに馴染んだ。一方でジョンは馴染めなかった。常に監視される社会。あらゆる個人情報が曝け出される感覚が、彼に不安を与え・・・。理想郷が全ての人の生活を理想にするとは限らない。

第二章:アガスティアリゾートを運営するマイン社が開発した過去追体験マシン『ユアーズ』。ある日、警察官のリードは、亡くなった両親の顧問弁護士を名乗る男から、両親の願いを告げられる。かつて両親はアガスティアリゾートのテスターとして生活していた。リードはそれを知らされていなかった。両親の願いは情報開示。つまりまだ実用段階にない『ユアーズ』を使って、リードに何か情報を伝えようというのだ。『ユアーズ』によって映し出される自分と家族の過去。初めて分かった両親のリードに対する思い。それを知った上で、過去には戻れない事をより一層分かってしまったリードだった。

第三章:殺人課の刑事スティーブンソンは夜中に呼び出された。殺人事件が起きたのは、アガスティアリゾート区外だが、リゾートに隣接する場所。現場にはすでに後輩のリードと、特別区管理局(アガスティアリゾート内における警察機関)のライルが到着していた。ライルはサーヴァント(情報管理AI)の指示で区外であるこの現場に出張ってきたのだ。スティーブンソンはこの時代においては古いタイプの人間だった。つまり、盲目的にサーヴァントの指示に従う人間に疑問と苛立ちを隠せなかった。この物語の肝は、犯人探しではなく、アガスティリゾートの仕組みに関する意見の食い違いだ。リゾートは、住人の視覚情報、購入履歴等あらゆる情報を取得し、犯罪を犯す可能性のある人物を未然にリストアップしメンタルケアなどに促す仕組み。スティーブンソンはその仕組みそのものに疑念を持つ。そのような情報だけで人を隔離するのは差別ではないかと。一方、ライルはサーヴァントにより選別され、リストアップされた人物は、それなりの根拠がある。だから未然に犯罪を防ぐ事ができていると豪語する。理想郷を守るための仕組みの是非を問う一方で、刑事物としてストーリーも楽しめる。

第四章:アガスティアリゾートに設置されている犯罪予測システムBAPを開発したドーフマン博士の物語。BAPが要注意とマークした人物=ジェンキンスに、警察と協力して接触し危険性を確かめていた。ドーフマンは調査の結果からジェンキンスは非常に危険と判断した。しかし、そこへ記者がやってきて横槍を入れる。ジェンキンスは母親を失った可哀想な若者なだけだ、と。ドーフマンの制止を聞かない記者はジェンキンスにインタビューを決行する。しかし、そこでアガスティアリゾート初の殺人事件が起きてしまう。その後世論は、BAPリストの載った時点で取締るかどうかという議論が発生。ドーフマンは『リストに載った時点でそれらの人物を拘束出来るようになったら更生の余地がなくなるので慎重な対応が必要』と説く。しかし彼の本意を理解出来るものはあまりに少なかった。

第五章:アメリカの大学に留学するユキ。学生生活の中で知り合った日本人の青年、吉本と出会う。仲間は彼をララと呼んでいた。そんな折、ララとユキと仲間たちでアガスティリゾートへ向かうも、ユキだけが入場を拒否された。その後、ユキは大学のゼミでアガスティアリゾートの治安について学ぶ。サーヴァントにとって予測しやすい人間はリゾート入れるが、予測しにくい人間は入場拒否される事がわかった。これらの事実を知り、ララとユキは、防衛システムに予測不可能な出来事を引き起こす事を企む。計画は成功したかに思えたが・・・。住人のあらゆる行動を予測するサーヴァントに対しての反抗を描いた話。

第六章:牧師のアーベントロート一家にまつわる話。アガスティアリゾートに翻弄された者達の物語。アーベントロートの息子、ピーターは以前アガスティアリゾートとそこに住む人々について論文を発表した。論文の中身は『人から不満や不自由を取り払っていくと、ほとんどの行動が無意識になる。ドアのノブを意識せず回せるように。そうして人が無意識になる事が、進化としては正常で、いずれそれは永遠の静寂(ユートロニカ)になる』という内容だった。これには反響もあったが、多くの反感も買った。数百万人の恨みを買い、彼と妻は常に狙われた。妻はそのせいで殺された。住居を何度も転々としながらの生活の末、まだ幼いティムとピーター、実父アーベントロートとの3人生活にたどり着く。そして、より安全なリゾートへの居住の話が浮上する。調査の結果、アーベントロートとティムは近くのリゾートに居住できる。しかしピーターは彼の過去ゆえ居住できない。ここにもアガスティアリゾートの歪みを受けた家族がいる。

この作品の要素・成分 (最低値=1 最高値:10)

 雰囲気

導入部からアイザック・アシモフのロボット三原則の引用文が入るところから、ロボットが出てくるSFかと思いきや、一つの理想郷を基本にして6つのストーリーが展開される本作。

仕事をしなくても収入を得られ、その他あらゆるストレスの原因となる事項が極力排除された特別区=アガスティアリゾート。ただし、そこで居住するには過去のデータ、視覚情報、も物品の購入履歴などあらゆる個人情報を提供する必要がある。

理想郷に住むために個人情報を明け渡す人々。自ら考える事を放棄した人々・・・。理想郷(ユートピア)の背に隠れる人々の退廃的な未来を描いた本作の雰囲気は重い。

読みやすさ:8 ⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️

まわりくどい言い回しが少なくシンプルな文体なので、スラスラと読める。

ワクワク度:3 ⭐️⭐️⭐️

ワクワク、という感じはあまりない。アガスティアリゾートを目指して、あるいはそれにより翻弄される人々を俯瞰で見る感じ。

ハラハラ度:5 ⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️

第三章に出てくる刑事スティーブンソンと妻とのやり取りや犯人捜査、第五章のララとユカの企みなど、ハラハラする場面は所々にある。

食欲増幅度:1 ⭐️

あまり食事が美味しそうな描写はない。

冒険度:2 ⭐️⭐️

冒険要素はあまりない。

胸キュン:1 ⭐️

男女というか夫婦間の関係を扱った話はあるが、胸キュン要素は皆無。

血湧き肉躍る:2 ⭐️⭐️

力と力、能力と能力が拮抗するような場面はあまりない。第四章でジェンキンスが凶行に及ぶシーンは緊迫感はあるも、血湧き肉躍るほどではない。

希望度:3 ⭐️⭐️⭐️

人々の希望や夢を詰め込んだかのようなアガスティアリゾート。しかし皮肉にもその影で辛く苦しむ人間が多い事、単純に人から不満を取り除くだけでは人は幸せにはなれない事を本作は伝えようとしているのかもしれない。

便利になる、という事は『意識せずにできるようにする事』、つまり極力頭を使わずに済ますこと。すなわち人はどんどん馬鹿になる?

絶望度:6 ⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️

リゾートの安全を維持するためのAMBおよびBAP。居住者の過去と行動履歴からその人が犯罪を犯す可能性があれば自動的にサーヴァントによりリストアップされ、メンタルケアやサナトリウムでの回復プログラムの受講対象になる・・・。

その事よりも絶望感が大きいのは、人々はいずれ機械に判断さえも任せ、自らの意思で動かなくなるのでは?意識をしない=無意識にただ生きるだけの人が寄り添う場所ができると言われているような気がした。

残酷度:3 ⭐️⭐️⭐️

ジェンキンスに切り裂かれる被害者など、一部残酷描写あり。

恐怖度:7 ⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️

ホラー的な恐怖ではなく、人は意識を無くし抜け殻になっていくのではと思わせる・・・そんなゾッとする未来を想像した。現に、僕も生活の半分をGoogleに握られているし、『やましい事はないから個人情報の一部をクラウド上に残す』のが昔より心理的ハードルが下がっている。

だから本作で描いている事はかなりリアルに感じた。そのため、恐ろしさも強い。

ためになる度:7 ⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️

『人からストレスを取り去ると徐々に意識そのものが消えていく』という発想にズキンとくるものがあった。人間は皆、極力楽に、疲れないように、少しでも楽に生きようとする。それが突き詰めたところがこのアガスティアリゾートだとしたら。考えさせられた。

泣ける度:1 ⭐️

泣ける話は無い。

ハッピーエンド:1 ⭐️

読後感は重く、考えさせられるなぁ・・・という感じ。ハッピーエンドとは程遠いが、僕たちの人生においては少しでもハッピーエンドになれるような教訓が含まれている気がした。

誰かに語りたい度:5 ⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️

友人に尋ねてみたい。もしアガスティアリゾートに住めるなら、住みたいか?と。これは、自問自答してみたけど、僕は正直住みたい。僕のような、取り柄もなく、何かに執着する事が少ない人間には良いところかもしれない、と思ってしまった。いろんな人に意見を訊いてみたい。

なぞ度:1 ⭐️

謎は無い。

静謐度:4 ⭐️⭐️⭐️⭐️

6つのストーリーはシンプルな文体でドラマチックにまとめられている。登場人物たちは忙しく動き回っていたり、悩んでいる。それでも作品全体に静謐さを感じるのは、アガスティアリゾートという『ユートロニカ(永遠の静寂)』が根底にあるからなのかもしれない。

笑える度:2 ⭐️⭐️

ドーフマンの章だけは、少し笑える部分があった。

切ない:2 ⭐️⭐️

切なさというよりも、虚しさを感じた。人が理想を求めたがために、かえって理想とかけ離れてしまう人が現れてしまう・・・。人類の発展とは、そのような繰り返しなのだろうと思うと切なさよりも、虚しさを感じてしまったのだ。

エロス:1 ⭐️

特にそのような描写は無し。

データ

タイトルユートロニカのこちら側
著者小川哲
発行元早川書房
コードISBN978-4-15-031299-2

まとめ

著者の作品は本作が初めてです。いや〜なかなかヘヴィーな話でした。まるで僕たちの未来を占っているように感じ、薄ら寒くなりましたね。

本作は架空の施設アガスティアリゾート、という特別区に居住する人や、それを運営する側の人、また、そこに住まない人など、何らかの形でアガスティアリゾートに関わった人々の物語です。

第一章、理想郷に住み始めた夫妻で、夫が環境に馴染めなかったという話は『まあ、そうなってもおかしくないよなぁ』と思いながら読みました。第三章、第四章においてはアガスティアリゾートの治安維持・防犯というテーマで居住者のあらゆる情報を読み取って危険行為予備軍をリストアップするという内容があります。これは、例えば僕が正しくゴミを正しく分けて捨てなかったり、町内会に参加しなかったり、夜中頻繁に目的もなく散歩していたりすると、等級が下がる。全部記録されてますからね。そして何らかのきっかけで、僕がBAPリストに載ってしまう・・・。リストに載る事=要注意人物認定で、カウンセリングの案内が来たり、見張られたりするわけです。要するに犯罪を実行していなくても、不審な行動や何か良からぬ事を考えただけで、危険とみなされてしまうのです。

なかなかに厳しいと思いませんか?区内の安全を守るためとはいえ、これでは息苦しすぎます。

本作はSFのフィクションだから、と思って割り切って読もうとしてもなかなか割り切れず、つい現実の未来を考えてしまいました。今、僕たちの社会は個人情報保護法が制定されています。しかし、その一方で、個人情報を加工し【適切に】使ったマーケティングが盛んになっています。これにより、多くの人のデータを取得し、AIで学習させて傾向を予測する事ができるようになってきています。アマゾンで買い物をした人ならわかると思いますが、『これを買った人は、これも気に入っています』と商品を勧めてきますよね。あれも、大勢の人の購買記録を記録し、傾向や趣向を予測しているんだと思います。

あと、僕自身にも言える事なんですが、4〜5年前までは見知らぬ場所へ行くには地図をプリントアウトして行ってました。しかし今はGoogleMapに案内してもらってます。徒歩での移動も車での移動もGoogleMap頼りです。つまり、自分の頭を使わなくなってるんですよね・・・。さらには、あらゆるデータをGoogle任せにしてるので、僕の個人情報の大半がGoogleに握られている・・・。これらの要素が、本作に出てくる居住者の情報を全て握っているマイン社と重なって見えるんですよ。

本作を読んで思ったのは、今後はますます『人間が頭を使うような事が減ってくるのではないか』と。すでに生活の一部分に入り込んできているAI(人工知能)。天気を教えてくれたり、その時の気分に合う音楽をかけてくれたり・・・。便利な世の中ですよね〜。

そんな僕たちへ、スティーブンソン刑事が作中言ったセリフで締めさせていただきます。

『少しは自分で考えろ』

気に入ったフレーズ・名言(抜粋)

特別な何かを掴みとることのできる者はみな、きっと恋をしているのだ。

ユートロニカのこちら側
p. 16

「君はものごとを深く考えすぎだよ」恐ろしい言葉だった。「ものごとを深く考える」のが悪いことであると、「ものごとを深く考えず」口にしている。寒気がした。

ユートロニカのこちら側
p.241

自由とは不自由という堅固な牢獄からの脱獄者である。
もし牢獄がなければ、自由は何の肩書きも持たない。

ユートロニカのこちら側
p.224

嫌なことや難しいことがあれば、人間は意識を呼びだして、うんと考えてそれを解決しなければならない。つまり、ストレスが意識を発生させるってことだ。ドアと一緒で、人間っていうのは考えなくてはならないことがあれば、何事もなるべく考えなくてすむように変えていく。
技術はいつだってそのようにして進化してきた。そして、そうやって希望通りストレスをなくしていくと、最後は意識が消滅するんだ。そうなれば人間はストレスを感じずに、ずっと無意識のまま生活することができる。

ピーター
ユートロニカのこちら側
P.304

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