フランケンシュタイン

SF

こんにちは。ポメラニ・アンパンです。

もうすっかり梅雨いりしてじめじめして嫌~~~!!!

このまとわりつく感覚、ネメト~って感じでどうにかならんものですかね~。

そして梅雨が明ければいよいよ本格的に夏が進攻してくるのです。はぁ・・・。

ということで、熱くなるこの季節、少しでも涼しい気持ちになれるようにご紹介するのはメアリ・シェリーの著書であり、名前は有名だけど原作を読んだことがある人が少ないと言われる作品No.1の

『フランケンシュタイン』です。


<あらすじ 裏表紙より抜粋>

冬の雨もわびしいとある夜、消えかけた蝋燭の薄明かりの下でそれは誕生した。解剖室などから各器官を寄せ集め、つぎはぎされた身体。血管や筋のひとつひとつが透けて見える黄色い皮膚。そして、茶色くうるんだ目。若き天才科学者フランケンシュタインが、命の真理を窮めて創りあげたもの、それが見るもおぞましい怪物だったとは!?恐怖と悲哀に満ちた永久不滅の大ロマン!

作品情報

原作タイトルFRANKENSTEIN;OR, THE MODERN PROMETHEUS
日本語タイトルフランケンシュタイン あるいは現代のプロメテウス
著者メアリ・シェリー(Mary Wollstonecraft Godwin Shelley)
訳者森下弓子
発行東京創元社
コードISBN978-4-488-53201-7

本作に含まれる要素

孤独、愛、殺戮、人が人を創る、怪物、美醜、家族、相対、エゴ、傲慢、冒険、好奇心、善意、憎悪、差別、光と闇、後悔

感想

フランケンシュタイン、その名前を知らない人はいないのでは?あまりにも有名な名前ですが、僕のように原作を読んだことがある人はその知名度に対して少ないのではないでしょうか。

かく言う僕もその一人です。

今回、たまたま本屋さんでフランケンシュタインのタイトルが目に入り、「そういえば原作読んだことがないなあ」と手に取り、あらすじを読んで、さらに作者が女性だと知って(それまで知らなかった)一気に興味を惹かれました。あまりにも有名で恐ろしい作品、SFの始祖ともいわれる作品を執筆したのは女性だったということで、どのような表現をしているのか。男性の作家との違いは?と色々考えていると読みたくなりその場で購入した次第。

さて、フランケンシュタインといえば、つぎはぎだらけの体躯の大きい怪人というイメージしかなく、実際のところ物語は良く知りませんでした。本作を読んでなるほど面白い。しかし、突っ込みどころも多いぞ、と思ってしまいました!!

以下、少々ネタバレもありますが、書いていきます。

お話は産業革命が起きて、世の中に科学や機械が少しずつ人々の生活に浸透し、世界が変わっていく中での時代。

イギリスのとある科学者ヴィクター・フランケンシュタインは己の好奇心からよく学び知識を蓄えていった。彼がもっとも入れこんだのは生命科学。その謎を解き明かしたいとの思いから、実験に没頭する。彼には父、弟、許嫁とともに何不自由ない暮らしをしていた。

しかし、フランケンシュタインの探求心が禁断の扉を開いてしまう。

人が人を創造する!

彼は生命科学を窮めた末、無生物に命を吹き込む術まで習得してしまう。そして、その命を吹き込む器として、少し大きめの人を創ろうと思い、苦心の末、それは完成した。

だが、命を吹き込まれたそれは、思わず目をそむけたくなるほど醜悪な大男、まさに怪物だったのだ。黄色い肌の下には血管が透き通ってみえており、その顔はミイラよりもおぞましい。

結果、フランケンシュタインは自ら創造したものが、醜悪極まりなくあまりにもおぞましかったため、命を得たばかりのそれ=怪物から逃げ出してしまった。これが後々の悲劇を呼ぶ。

この後、結局フランケンシュタインは怪物を美しく作り直すこともせず、ただひたすら自ら生み出してしまった怪物を憎み嫌い続ける。

一方怪物の方は自我を持ち、一人で行動する。とある優しい人間の家族をずっと観察し(この前に人前に姿をさらした際、人間がものすごく怖がり、嫌われたことを警戒している)、喜怒哀楽の感情、それ以上のものを得る。そして、自分がなぜたった一人なのか。優しいあの家族になら受け入れてもらえるだろうか。ずっとそう願うのである。

この後、フランケンシュタインと怪物が邂逅し、会話するシーン。なんと、怪物は独りぼっちが嫌なので、自分と同じくらい醜い女を作ってほしいとフランケンシュタインに懇願する。もし、それを作ってくれたら、自分とその女は醜い姿なので誰も人間は受け入れてくれないだろうから、人が生活していないところで、ひっそりと暮らす、とまで言うのである。

はじめはフランケンシュタインも怪物の提案を承諾し、女の怪物の創造に着手する。しかし、フランケンシュタインの胸中は揺れていた。怪物の諫言なのではないか?女形をつくって、子孫を増やし、人間を責め立てるのではないか。怪物への恐怖と悪感情が重なり、フランケンシュタインは製作途中だった女形の身体をズタズタに切り裂いてしまう。それを見ていた怪物は、怒り狂った叫びをあげて姿を消す。

これが決定打となってフランケンシュタインと怪物は徹底的に互いを憎み、殺しの目標として苦しみながら生きていくことになる。

ちなみに、フランケンシュタイン博士の弟、許嫁、父、は直接的または間接的に怪物によって命を屠られている。

終盤ではフランケンシュタインが死に、怪物はフランケンシュタインの死によって自分も残りの生を全うするだけだ、と言い去ってしまう。もう他にだれも犠牲を出さないと、その場にいた者に言い残して。

もうね、悪いのはどっちだ?!った話になると圧倒的にフランケンシュタイン博士、あんたが悪いでしょ!と。

勝手に創っといて見た目が酷いから怖いから一切かかわらない。挙句の果てに始末しようとしてる。一方、怪物は人間の言葉を少しずつ会得し、コミュニケーションもとれるようになった。そもそも、フランケンシュタインが怪物を放置しなければ良かったのに。

あと、怪物が自分の対となる女形を創ってほしいと言ってきたとき、創ってやればよかったやん!と思うのは僕だけでしょうか。

う~ん、凄くおもしろかったんですが、博士はもっとやりようがあったんじゃないの?とどうしても考えてしまいます。とはいえ、時代背景を考えるとこうなってしまうのかも。

産業革命が起き、科学や工業技術の飛躍的進歩により、色々なモノが作れるようになった。しかし、命を創るというのは僕たちが生きる現代に比べ、はるかに禁忌の認識が強かったでしょう。人が命を創る=神のように事をなす、というのはキリスト教世界においては分不相応、人の手に余るという認識から、このような物語になった、せざるを得なかったのでは?と思いました。

まあ、確かに創ったものが美しい人間だと物語が成り立たないのも事実。

う~ん、でもやっぱり僕の中では怪物は悪くない、と結論づけてしまう物語でした。

気になったフレーズ・名言(抜粋)

ああ!人はなぜ、畜生に見られるよりよりもすぐれた感受性があるなどと、得意になるのでしょう。そんなものがあるだけ不自由な存在なのに。もしわれわれの衝動が飢えと、渇きと、情欲だけにかぎられていたなら、ほとんど自由と言えるでしょう。

フランケンシュタイン p.130

人とは本当にこうも強く、こうも徳高く高邁でありながら、同時にこうも邪悪で卑しいものなのだろうか。あるときはまるで悪の原理の申し子のよう、あるときはまた、考えうるかぎりの気高さと神々しさの権化とも見える彼ら。

怪物
フランケンシュタイン p.157

諸君!男になりたまえ、いや、男以上なものになれ。ぐらつかず、岩のように断固として目的に向かいたまえ。氷は君たちの心のようなものではできていない。うつろいやすく、諸君が邪魔するなと言えばさからうことはできないのだ。家族の帰るなら、額に不名誉の烙印を押されて帰るな。戦い勝った者として、敵にうしろを見せることを知らない英雄として帰りたまえ

フランケンシュタイン博士
フランケンシュタインp.285

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